「鹿でも馬でもない」

むかしむかし、とても仲の悪い嫁さんとおばあさんがいました。
二人は顔さえ見れば、いつも口げんかばかりしています。
ある日の事、おばあさんがいろりのふちに座っていると、嫁さんがそばへ座りました。
するとおばあさんは、ひとり言の様につぶやきます。
「どこぞの嫁は、飯は一人前食うが、着物一枚、縫えんそうじゃ」
すると嫁さんも、負けずに言い返しました。
「どこぞのばあさんは、いつも嫁いじめをして楽しんでいるそうな」
「ふん!」
「ふん!」
二人とも、心の中で、
(何て、憎らしい)
(早く、死ねばいいのに)
と、思いましたが、そのくせ、いろりのそばを離れようとはしません。
黙ったままの時間が、長く続きました。
嫁がぼんやりと外を見ていたら、馬が一頭、歩き回っていました。
いつまでも黙っていては、ますます気まずくなると思って、嫁さんが言いました。
「ほれ、ばあさん。馬が歩き回っているよ」
ところが、それを見たおばあさんは、
「あれは馬じゃない。鹿だ。よく見もしないで、何を言う」
と、言いました。
「とんでもない。あれは誰が見たって、馬じゃ。だって、頭に角がないもの」
「いいや、鹿だ。角のない鹿だって、いくらでもいる」
「あれは、馬じゃ」
「いいや、鹿じゃ」
「馬じゃ!」
「鹿じゃ!」
とうとう二人は言い合いになり、そこでどっちが正しいかを決めようと、何と奉行所へ訴え出たのです。
そしてこの裁きを受けることになったのが、名裁きで有名な大岡越前だったのです。

さて、裁きを受ける前の晩、おばあさんは嫁さんに黙って越前のお屋敷へ行ってお願いをしました。
「どうか嫁の前で、わたしたちが見たのは鹿だと言って下さい。この裁きに負けると、嫁がますますつけあがります」
「よし、わかった」
おばあさんが帰ると、今度は嫁さんがこっそりとやって来ました。
「どうかばあさまの前で、わたしたちが見たのは馬だと言って下さい。この裁きに負けますと、ばあさまがますます頑固になります」
「よしよし、わかった。わしに任せておけ」
越前の言葉を聞いて、嫁さんは大喜びで帰っていきました。

次の日の朝、二人は奉行所へとやって来ました。
(今日こそ、嫁をぎゃふんと言わせてやる)
(今日こそ、ばあさんをぎゃふんと言わせてやる)
おばあさんも嫁さんも、越前には話がついているので、自分が負けるはずはないと思って、にんまりと笑いました。
さて、二人がお白州に座ると、越前が出て来て言いました。
「それでは、二人の言い分、どっちが正しいかを決めよう。まず、ばあさんから申してみよ」
おばあさんが、進み出て言いました。
「大岡さまに申し上げます。わたしたちが見たのは、鹿に間違いないと思います」
すると、越前が言いました。
「いいや、あれは鹿ではない。」
「そ、そんな」
おばあさんの顔が、青くなりました。
それを見て、嫁さんが勝ちほこったように前へ進み出ました。
「大岡さま、それは鹿ではなく、馬に間違いないと思います」
「いいや、あれは馬でもない」
今度は、嫁さんの顔が青くなりました。
越前は、目を丸くする二人に言いました。
「裁きを申し渡す。あれは鹿でも馬でもなく、馬鹿というものじゃ」
「馬鹿?」
「馬鹿でございますか?」
「ああ、馬鹿じゃ。馬や鹿で言い争いをするなど、お前たち二人は大馬鹿じゃ!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
二人とも越前に大馬鹿と言われて、しょんぼりしました。
越前は、言葉を続けました。
「だが、二人とも馬鹿でよかったのう。いくら仲の良い嫁姑でも、そのうちに仲が悪くなる事もあろう。しかし、お前たちは大馬鹿と言われるほどの仲だから、これからは仲良くなるしかないではないか」
それを聞いて、おばあさんも嫁も、自分たちがくだらないことで喧嘩をしていたのが恥ずかしく思いました。
「ごめんよ。つまらない意地を張って、あの時いたのは、きっと馬だよ。だって、角がなかったんだもの」
「いいえ、おばあさん。あれはきっと、角がない鹿だったんですよ」
「お前は、いい嫁だね。これからは、ずっと仲良くしていこうね」
「こちらこそ。おばあさん、今度、着物の縫い方を教えて下さいね」
「ああ、いいとも、いいとも」
こうして急に仲良しになった二人を見て、越前は満足そうに言いました。

「うむ。これにて、一件落着!」

おしまい


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